【インタビュー】ビアスプランニング株式会社「お客様と長く続く関係性」を。大洲市で成長を続ける多角化経営の秘訣に迫る

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企業名ビアスプランニング株式会社
代表取締役 永井 明 様

賃貸不動産を通じて「住まう」に寄り添うメディア『YORISOU EHIME』が、愛媛県の賃貸不動産管理会社の皆様に賃貸不動産管理の面白さや楽しさ、地域への想いをお聞きする企画「Member Episode」。

今回は愛媛県大洲市でお客様を長く続く関係性を築くため、迅速な対応をモットーにお客様に向き合う永井社長に、日頃大切にしている仕事への考え方について全宅管理愛媛県支部佐伯支部長がお話を伺いました。

高校を卒業し、県外の大学へ進学、就職を経てUターン

永井さんのご経歴を教えてください。

私は地元の大洲市で生まれ、隣町の高校を卒業した後に東京の大学の法学部へ進学し、そのまま新卒で東京の不動産会社に就職しました。

新卒で不動産会社へ就職されたとのことですが、当初から不動産業に興味があったのですか。

大学の在学中に兄の知り合いで不動産業をやっている人がいて、その人と親交を温めている最中に、就職の時期になりました。私も大きな仕事をしてみたい、という話をしていましたから、その人から衣食住の中で不動産業は一番大きな仕事だ。どうせやるなら企業に入ってスキルを身に付けた方がいい、というアドバイスをもらいました。ちょうど法学部にいたので、宅建の勉強もとっつきやすく、性にも合っていたようで不動産業に興味を持ちました。

―在学中に宅建の資格を取得されたのですか。

はい。大学4年の時に合格しました。不動産会社に内定をもらっていましたが、宅建の資格取得は必須で、仲間内では2年以内に合格しなければ退職勧告をされるらしいという噂もあったものですから必死になって勉強しました。

―新卒で入社された会社ではどういった業務をされていたのでしょうか。また、地元へもどったきっかけは何だったのですか。

入社した会社では、不動産の土地、戸建ての売買、仲介をやっていました。5年ほど経った頃、父から家業を手伝って欲しいという話がありました。私も当時20代後半でしたから田舎に帰るのなら今しかないのかな、という感じで一度実家へ戻り、永井産業有限会社へ入社しました。実家は、自動車教習所、レジャーホテル経営、不動産事業を行っておりましたので、宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)が社員の中にはいたのですが創業者の中にはいなかったものですからお前にやって欲しいという話があって、非常にやりがいのある仕事になるな、と思いました。

当初は、永井産業有限会社横浜支店を設立して、神奈川県横浜市の不動産の買取再販をしていたのですが、大洲市の事業規模が大きくなり、忙しくなってきたこともあり、大洲市の事業に専念することになりました。そんな中で、不動産の賃貸、不動産の所有もしていたので管理もしていたことから、不動産事業を一元化しようということになって、ビアスプランニング株式会社を設立してグループ内の不動産部門をすべて運営管理する不動産会社を設立し、現在に至っています。

事業の多角化で安定した経営を実現。人や資産を有効活用し最大限の利益を引き出す

現在は、どのような事業展開をされているのですか。

現在は、グループ会社があって、自動車教習所やレジャーホテルを経営しています。グループ会社内には不動産がありますので、グループ内の不動産の賃貸の斡旋、不動産管理を基本とし、不動産の売買仲介、賃貸仲介、賃貸管理、ホテル運営管理、グループ会社内の総務経理管理を行っています。また、ホテル事業で利用しなくなった不動産も更には賃貸業として利用できないか、など不動産活用をグループ内で考える仕事をしています。グループ全体で40名体制で運営していますが、ホテル事業は人手も必要になりますから、不足している分を補うために、グループ内の総務や経理セクションをビアスプランニング株式会社が行うことによって人手不足の解消を図っています。

絶対に放置はしない。即対応をモットーにお客様と長く続く関係を大切に

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日々お客様と接する中で、賃貸不動産の面白いと思うところや、これまで苦労されたことを教えて下さい。

地元に帰ってから、現在の会社を設立してやっていくまで不動産売買の仲介しか経験がありませんでした。賃貸を勉強しなければならなかったのですが、実際に教えてくれる人が身近にいなかったので様々な人に聞いたり、今まで交わしている契約書を見直したりしながら勉強していきました。売買は契約をして、残金引き渡しをするとほとんどの業務が終了しお客様との業務上の接点は終了します。しかし、賃貸は契約をして入居。そしてその方が生活をしていく中で様々なトラブルや変化に対応していくことになります。その間、貸主、借主、不動産会社がいつも密接な関係を保つことで、お客様の不安を取り除けると考えています。

そして、その関係から様々な経験を体験し、自分自身が成長できるので貴重な体験をさせて頂いていると思っています。お客様の希望条件等にとらわれず、お客様自身でも気づかない最適な物件の条件や状態を把握して、お客様に気に入って頂けた時には非常にやりがいや面白さを感じます。

都会と違って、地方は杓子定規にいかないところや、人間関係がより大切になってくる部分もあると思います。業務を行う際に大事にしていることや、気を付けていることを教えてください。

業務を行う上で大切にしていることは、些細なことでも相談があれば親身に相談に乗るなど、入居者の方が最適な物件で生活を送れるかどうか細やかな気遣いを大切にしています。

貸主、借主にとってどちらの味方でもなく、どちらの敵でもない不動産仲介会社だからこそ冷静に、お互い最適なwin-winになれるような関係を築けるように心がけています。

また、何かしらトラブルや相談があった際には直ぐに対応するようにしています。これはモットーとして行っています。絶対に放置しない。それは、自分自身の性格もありますが、大体クレーム、トラブル、相談を放置しているとそれが10倍にも20倍にも膨らんだものになって返ってくることを実感としてわかっています。それを昔売買で経験したことがありますが、賃貸だとずっと続く関係になりますから細やかなサービスが求められていると思います。適切に対処できることが不動産業をしている者の務めだと思い、お客様と向き合っています。

伊予の小京都「大洲市」で地域に寄り添う不動産業者を目指して

大洲市とはどんな町なのですか。

大洲市は伊予の小京都と呼ばれています。市の中心を肱川が流れて、昔ながらの町並みが残って美しい田園風景や山並みが見えるのが特徴です。

大洲市を流れる肱川は「肱川あらし」という自然現象が起こります。毎年冬場に貼れた日の朝に上流から霧を伴った冷気が大きな音を立てて一気に海まで流れ出す珍しい現象で、同時に大洲盆地では雲海が見られることも多々あります。冬場は10時、11時は霧の中、ということが多々あります。地元では、霧が深ければ深い程、大洲市の午後の天気は良くなるとも言われています。

―肱川は氾濫も多い川だと聞きますが、不動産の賃貸管理をする上で災害の問題もありますが気を付けていることはありますか。

そうですね。肱川は恵みも生み出しますが2018年7月には西日本豪雨で甚大な被害を受けました。ちょうど七夕の時でしたから我々は七夕豪雨と言っているのですが、肱川の氾濫から洪水が発生して、旧市街地、東大洲は洪水によって浸水しました。私の会社も被災しました。現在、肱川沿いを中心に堤防等の水害対策工事を行っていますが、洪水が発生しているかどうかハザードマップなどを事細かく見ておかないと実際に浸水してしまう恐れがありますし、お客様もそこを気にされているのできちんと調査をする必要があります。

田舎では不動産会社が減ってきて、正確な情報を伝える場がないといけない、という意味では地域の不動産会社は非常に大事な役割を果たすのではないかと思います。

今後の課題としては、やはり地方における少子高齢化が著しく進んでいます。そのため不動産業の縮小化は避けて通れないことなのかも知れません。しかし、不動産業は地域に根付かなければなりませんから消滅させるわけにはいきません。大洲市は空き家対策として移住にも力を入れておりますし、松山など中予地域と南予地域を結ぶ玄関口でもありますから交通網の整備もしっかりされています。今後、中予地域のベッドタウンとしての発展を期待し、不動産業者としてその一翼を担っていきたいと思います。

最後に、宅建協会に入会して良かったことや全宅管理に入会して良かったことなどをお聞かせください。

宅建協会に入会して良かった点は、会員数が多いので色々な企業が情報を教えてくれます。協会内の団結力と情報量が非常に多かった、というのがスケールメリットとしてありました。全宅管理に入会して良かった点は、先だって研修会に参加させてもらったのですが、非常に具体的な案件を研修でお聞きすることができて大変勉強になりました。また、弁護士相談は相談できる窓口があるというだけで安心感があります。これは実際の保険だと思っています。

不動産業だけでなく多角化経営を実現し、幅広く活動される様子が伝わってきました。永井社長の人間力が地域に根差したビアスプランニングの根源なのだと感じます。本日は貴重なお話をありがとうございました。