【特別インタビュー】~平成30年7月豪雨災害を経験して~

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(公社)愛媛県宅地建物取引業協会政策流通委員会実施インタビュー

                      (インタビュー/政策流通委員会副委員長 佐伯大地)

近年では、全国各地で自然災害の激甚化、頻発化により甚大な被害が発生しています。公益社団法人愛媛県宅地建物取引業協会政策流通委員会では、平成30年7月豪雨を経験された当協会副会長の永井明さんに当時のお話をお伺いし、とりまとめました。日頃の防災意識を高めていただき、大規模災害時の備えに役立ていただければ幸いです。

災害発生から1週間の間の出来事

―当時の状況について教えてください。

7月7日に発生したので私たちは七夕豪雨と呼んでいます。梅雨の末期ということで1週間ほど前からずっと雨が降り続いていました。やけに止まないな、と思ったことを記憶しています。時折強風まじりの大雨が降っていましたが、その時はそこまで危機感は感じていませんでした。

しかし、いきなり肱川の水量が上がり始めました。確か前日の夜に雨がかなり降ったと思います。外に出てみるとみるみるうちに冠水しはじめました。大洲宅建協会の事務所がある場所は、もともと大雨が降ると浸水しやすい地域ではあったので様子を見に行ったのですが、今まで経験したことがない水位まで浸水していました。これはいかん、と思って荷物を避難させようと思いましたが、水位が上がるスピードが速く、自分自身がそこから立ち去らないと危険な状態になり、ここにいては帰れなくなる、いったんここから離れようということで、その場から離れました。これが当日の午前中の出来事です。

そうこうしているうちに、大洲市内の至るところが浸水し始めました。今まで浸水したことがない物件に入られている入居者から「水がもうそこまで来ている!」ということで連絡があったので、心配で見て回りましたがどこも同じような状態でした。自分が管理している物件の中で一番高い場所にあった物件の駐車場のところで水が止まりました。

「止まった!」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。雨は午前中に止んでいたのですが、雨が上がってから水嵩が増えてきました。肱川の水量が増えて、内水が抜けなくなった、というような感じです。

  (永井氏提供:大洲宅建協会事務所前。浸水中の様子)

              

手の付けようがない。何からしたらいいのか分からない状態でした。

―水はすぐにひいたのでしょうか。

翌朝、状況を確認しに行きました。水はある程度は一晩でひいていましたが酷い状態でした。建物の中で床上浸水していたところは家具が全部浮いて、流れ着いた場所でストンと落ちた、というような状態でした。汚泥、泥水なのでどこもかしこも泥だらけ。片付けをしないといけない、ということは分かっているのですが、どこから手を付けていいのか分からない。   

社員の中にも被災している者がいるので、通常の営業とはなりません。来られる人には来てもらって、最初の作業は完全に泥をかぶって使えない物を外に出す、という作業から始めました。家具、ソファー、椅子、机など木製のものは全部元あった場所から移動してしまっていましたね。ソファーなんかは水で湿ってもの凄く重たい。それを外に出す、という作業が大変でしたね。この頃のことはどのようにして外に出したのか記憶にありません。それくらい必死でした。

                       (永井氏提供:大洲宅建協会事務所内)

―入居者からも連絡がありますよね。どのように対応されたのですか。

そうですね。「床上10㎝くらい浸水した。どうしたらいいか」というような電話は次々とありました。被災した入居者からは全員かかってきました。固定電話は全く繋がらない状態だったのですが、緊急連絡先として携帯電話の番号をお伝えしていたので、皆さん携帯電話へ連絡をしてこられました。床上10㎝であっても畳が使えない状態になっています。畳を動かすためには家具も全部外に出さないといけない。出社していたグループ社員一同、管理物件のところへ行って、全部家具を外に出して畳を上げる作業を1日でやりました。お客様の中にはこれではもう住めないということで、ご両親や親せきのところへ避難される方もいらっしゃいました。逆に避難するところがない、という方は畳を上げた後は自分たちでやりますと言われて、お掃除されて被災当日からそこでお住まいになっている方もいました。管理物件自体はまだ水が出たので良かったのですが、被災した社員の中には水が出ない、という者もいました。水が出ないとお風呂にも入れませんから、自社の管理物件の中で水が出るところは開放して入浴をしてもらったりしましたね。

―被災当日、翌日はとにかく片付けなければ、という感じだったのですね。

日記は普段はつけないのですが経験したことがないことばかりで、いろいろなことを一度にやらなければならないものですから、当日から日記をつけていました。それを見返してみると、2日目になると企業のボランティアが大洲市内に入って片付けを手伝ってくれました。取引先の企業も、様子を見に来てくれて人の手配をしてくれました。家具や備品等、水害に遭うと建物自体を高圧洗浄機で洗わないと使えません。そのため、何もかもいったん外に出さないといけません。ですから外に出して洗う、という作業を繰り返しやっていましたね。3日目になると、片付けははかどらないのですが少し冷静になってきました。その時にようやくお金のことを考えましたね。会社にあった現金が全部濡れている。濡れたお金ってどうしたらいいの、って。大洲市内の銀行も被災した取引先をまわっていたので、どうしたらいいのか聞きました。濡れてぐしゃぐしゃになっているけどどうしたらいいか聞くと、こういう事情だからそれでも構わないので入金してくれ、ということで入金しました。銀行も濡れたお金を1枚1枚はがしていました。

(永井氏提供:大洲宅建協会事務所前。浸水後の様子)

使えない物がどんどん出てきて、外はゴミの山。

―事務所機能はこの頃から復旧作業に入るのでしょうか。

被災していないパソコンを2階に配置してとにかく事務所の機能をとりもどそうということで事務所の方は復旧作業を進めました。管理物件では、畳を出したはいいけど、今度は新しい畳を入れないといけません。ですから出入りの業者に連絡をしたのですが、畳屋も被災していて機械が使えない。他をあたっても同じ。どこも同じ状態です。ですからしばらくは畳が入らない、ということを入居者に説明してまわらなければなりませんでした。

この頃の市内は使えない物がどんどん溜まってきてゴミの山になっていました。行政がゴミの集積をしていましたが、持って行ってくれるというのではなくて、集積場を用意するからそこへ自分たちで持って来てくれ、という状態でした。被災を逃れたトラックがあったので、それに乗せて自分たちでゴミを捨てに行ったのが3日目くらいから始まりました。

4日目になると、保険会社が動き始めました。当社は保険に入っていたのですが、何がダメになったのかを全部申請しないといけないのですが、パニックになっていて控えていないんですよ。全部捨てていて覚えていないんですよね。しかし、ちょうどゴミを集めた時の写真を何枚か撮っていたのでこういう物がなくなった、という形で試算しました。

5日目になると、皆さん作業に慣れてきたことと、ボランティアが非常に多くなって作業もはかどりました。市外の人がお見舞いに来てくださったりしたのもこの頃です。水はタンクに溜まった水を使ったりしながら作業をしていましたが、6日目頃に復旧しました。ただ、水に関しては1ヶ月近く出ないところは出ませんでしたね。

 (永井氏提供:浸水して使えなくなった家具等の被災ゴミの一部)

(永井氏提供:浸水して使えなくなった家具などの被災ゴミの一部)

            (永井氏提供:浸水して使えなくなった家具等の被災ゴミの一部)

―臭いや暑さはどうでしたか。

 臭いはあります。あれだけ降り続いていた雨がそれ以降全く降らなかったのです。1ミリも。ずっと日照りの状態が続いていました。そうすると泥が乾いて砂というか砂塵になりました。松ケ花のあたりを車で走ると埃と砂にまみれて、まるで戦場のような状態でしたね。臭いもそうですが、水に浸かった家具を触ると菌で手が荒れました。何回洗っても汚水に浸かったものか触ると分かるんですよ。綺麗に見えても触ると手が荒れるのでこれは浸かったものだな、と。ですからゴム手袋とマスクは必須でした。キッチン用の厚手のゴム手袋をずっとしていました。マスクとゴム手袋でとても暑かったですね。臭いなんかは一度洗ったくらいでは取れません。高圧洗浄機で何度も何度も洗いましたね。乾いたらまた泥が浮いてくるからまた洗う。そういう作業の繰り返しでした。

―1ヶ月くらいすると落ち着いてくるものでしょうか。

 1ヶ月を経過する頃には建築資材や畳、家電の注文分が入るようになってきました。通販で頼んだものなんかも届くようになりました。ただ、最初は洗って使っていたようなものでも、やっぱり腐食して使えなかった物なども多くて、ゴミはまだまだ出ているような状態でしたね。

例えば、洋服にしても洗濯したら着られると思うでしょう。洗濯するとボロボロになっているんですよ。だから洋服なんかも浸かった衣類は着られませんでした。家具もスチ―ルや鉄のものは洗った後は綺麗になったと思っていても、全部サビてしまうんです。サビてしまって結局使えない。家具も同じです。木製のものも、あまり浸かっていないもので洗って使ってはみたものの反ってしまって使えない、とか。1ヶ月経ってもゴミは出続けていました。運動公園がゴミの集積所になっていたのですが山盛りでしたね。その頃には、大洲市内各所にゴミ集積所ができていたので、そこでも捨てられるようになっていたのでそれは非常に助かりました。

管理物件に関しては、1ヶ月を経過した頃、みなさんどうされるかということになりました。被災直後から避難された方については退去されるという人もいました。退去にあたっては、1ヶ月はお住まいになっていないので被災時の日割り清算で対応したり、逆にお住まいになるという方には畳の搬入や家具の配置換えなどのお手伝いをさせていただきました。

―他にはどのようなことがありましたか。

 他で被災された方の仮住まいの手配が同時進行でありましたね。ただ仮住まい、ということが決まっていましたので1ヶ月とか2ヶ月だけ、というものですね。通常でしたら短期ですからお断りするのですが、事情が事情ですので自前の物件だけですが受け入れました。家賃だけはいただくようにして入居してもらいました。

―1年くらいすると以前のような状態に戻りましたか。

 事務所としての機能が復旧したのは1年2ヶ月くらいかかりましたね。お客様が直接来られる場所があって、事務処理ができれば良いので、他の事業所の片隅でやっていたりしたのでどうしても後回しになってしまいました。1年くらい経過すると保険金が入金されていましたが、被害にあったものを買替ようと思っても購入が間に合わない物もありました。ですから、1年くらいで元通りにはなりませんでした。保険金自体はいただいたけれど、購入が間に合わないという状況が続きました。そうなると税務関係で利益になってしまう。ただ、これに関しては税務処理で期間は延ばしてもらって、というように経理関係でそういうこともあったので、勉強しておかないといけないなと思いましたね。当社は保険に入っていたのですが、地域で保険に入っていない人なんかは、激甚災害に指定されたのでグループ補助金制度で補助金を申請するという人たちもいました。東日本大震災以降に創設された制度のようですが、私もこの時に初めて知りました。知らないことがたくさんありましたね。

―被災前と被災後で変化したことはありますか。

 被災後は、危ないかな、と思った時は大事な物は最初から避難させておくようになりましたね。また、連絡網というかどこで浸水しているのかリアルタイムで分かるようなサイトの見方ですとか、どこを見たらリアルタイムで分かるかということは分かるようにしています。

―備えておいた方が良かったと思うものはありますか。

 発電機ですね。発電機はあったらいいな、と思いました。その他で言えば、重宝したのは高圧洗浄機ですね。ホームセンター等に売っているタイプのもので十分です。当社は、1台はあったのですが、何もかも洗わないといけないから1台では足りませんでしたね。購入しようと思ってもどこに行ってもない、という状態がありました。みんな必要でしたから。高圧洗浄機がないと全く作業が進みません。復旧するまでの間、8割くらいは高圧洗浄機で何かを洗っていたような記憶があります。道路に流れた泥も高圧洗浄機で側溝に流すしかなかったです。側溝も汚泥が溜まって詰まるので市役所に取ってもらって、というような状態でした。高圧洗浄機があっても電気と水がないと使えない。ですから水も大切ですね。私の場合は、地域に生コン屋さんの知り合いがいて、そこに大きな貯水タンクがあるので水をもらいに行ったこともありました。うちは農業用のタンクがあったのでそこに溜めることができたのですが、普通の会社だとそういうタンクもないので大変だと思います。

―このような状況になった時に協会に求めるものは何でしょうか。

 人ですね。私は、ボランティアに来てもらったこともありますし、行ったこともありますが、来てもらうと人の有難みが分かります。人の手さえあれば大抵のことはできます。うちも来てもらったので、他のところで被災された会員がいたらボランティアに行きたいと思っています。協会は、ボランティアを募ろうと思っているとかそういう情報発信をして、とりまとめをしてもらいたいですね。視察に来ていただくことも非常に有難いですが、来られる時にタンクで水を持って来てもらうとか、今必要なものを持って来ていただくと更に助かります。 

家具を動かしたり、という作業が多いのでそういうお手伝いをしていただけたのは非常に有難かったです。

―管理会社としてできること、できなかったことはありますか。

 入居者の方のケアですね。緊急連絡先の通知については、携帯電話の番号を通知していましたが不通になった時に困ります。今回、固定電話は不通だったのですが、携帯電話が通じたので連絡は取れました。どちらも不通になった場合は困るなと思いました。

また、数十件の電話をいただいたとしても、自分も被災している場合ですとやっぱり疲弊します。でも、どうしようもないんです。相互理解が必要だとは思いますが、何もしないと入居者の方も不満や不安が募りますから、できることはやるようにしました。畳を上げる作業をお手伝いするとか、落ち着いた頃にお困り事はないですか、と声をかけてまわりました。そういうケアは必要だと思います。

また、簡単なもので構わないので自社でマニュアルを作っておけば良いかもしれません。自分も大変だし、入居者も大変。オーナーも大変です。急にこういう事態になった場合、どうしたらいいのか分からない。社員もどうしたらいいか分からない、ということもあると思います。業者の手配だったり、連絡先だったり、そういうことをスムーズにできる体制を日頃から取っておいたらいいですね。

―管理会社として準備できるものはありますか。

 準備できるものということで、ひとつ良かったなと思う物の中に防犯カメラがあります。防犯カメラを設置していたら、いつ浸水したのかが分かります。リアルタイムで水位が分かりますから後々の保険会社の申請の時にも役立ちました。

また、事前の準備とは違いますが、入居者の方と契約をする時に避難場所、避難経路をお伝えしておくことは大切だと思います。

―大洲市内が被災前の状態を取り戻すのにはどれくらいかかったのでしょうか。

 3ヶ月くらいはかかったでしょうか。平穏になりませんが、営業していなかったところが営業を再開した、とかそういう状態になったのが3ヶ月後くらいでしたね。その期間は、テナントが被災されたから家賃を半額にするとか、大変な時期だから家賃を取らないようにするとかそういうこともありました。そうなると入ってくる収入は減るので、そのようなケースも想定して日頃から資金面でも備えておかなければならないと感じました。

契約書の押印が消えている!?

びっくりしたことのひとつに、契約書の押印が水に流れて消えてしまっているものがありました。メーカーのインクを使っているものは残っていましたが、そうでないものは綺麗に消えていたのでびっくりしました。契約書や権利書なんかも全部浸かってしまったので、乾かした後に見てみると押印が消えているものがあってびっくりしました。

最近、契約があったのですが、その時に前の権利書を出して確認しないといけないことがあったので、箱にしまっていた浸かった書類を出してみましたが全部はりついていましたね。ベリベリと剥がしてはみたのですが、いまだに開けると泥や砂が出てきます。和紙は丁寧に剥がせば綺麗に剥がれましたし、比較的消えていないのですが、紙のものはくっついて剥がせませんでした。

パソコンは、水に浸かって乾いた後に電源を入れてみて、ついたらそこでデータを復旧しておいた方がいいです。一度ついたとしても何日か経つとサビて動かなくなります。ちょっと乾いた時に復旧できたらラッキー。動いたからといって安心していたら動かなくなります。それで復旧できないものはあきらめるしかない。全部2階に保存できるかと言われればそれも難しいですからね。こういう場合には電子契約等はクラウドに保存できるので安心かもしれません。

また、民間賃貸住宅借り上げ制度は複雑な部分もあるので、日頃から制度の概要を把握してオーナーの理解を予め得ておくことも大切に思います。新耐震基準の物件かどうか、ということがネックになって時間がかかった、ということも記憶しているので、協会には日頃から行政との連携を密にしてもらって被災者、オーナー、業者、行政誰もが簡単に手続きができるような仕組みを作ってもらいたいですね。

インタビューを終えて

先日、松山市、今治市で時間雨量100ミリ以上の猛烈な雨が降り、記録的短時間大雨警報が出され、両市では冠水や浸水被害が出ました。いつでも、誰にでも被災する可能性があるということを改めて感じています。協会に求めるものは、との質問に「人」と即答されました。協会は情報提供だけでなく、会員同士の繋がりを生み出し、互いに寄り添う気持ちを届ける場であって欲しいと思いました。本日はありがとうございました。

平成30年7月豪雨災害の概要(大洲市復旧・復興報告書より)

肱川流域では、梅雨前線や台風7号から変わった温帯低気圧の影響で7月4日 22 時頃から断続的に雨が降り続いていました。特に7月7日3時から7時の間は時間雨量 20mm を超える降雨が続き、7時には野村ダム上流 域の平均雨量が1時間当たり最大で 53mm を記録しました。48 時間の降雨量は、野村ダム上流域で 421 ㎜、 鹿野川ダム上流域で380㎜を記録し、さらには4日22時から7日14時までの肱川橋上流域の総雨量は367.4 ㎜に達しました(流域で2日間の総雨量340 ㎜は概ね 100 年に1回程度の大雨に相当)。これにより肱川本川においても、大洲第2水位観測所(肱川橋地点)の水位がこれまでの観測結果最大の 8.11m(7日 12 時 20 分)を記録し、大規模な氾濫が発生しました。鹿野川ダム完成後には、道路冠水の経験が ない肱川町鹿野川地区が浸水したほか、無堤区間及び霞堤箇所からの溢水により菅田地域や大川地域で広範 囲の浸水が発生し、東大洲地区では二線堤を越流するなど、上流域から下流域まで広範囲に渡って被害が発生し、浸水面積は約1,372ha に達しました。また、断続的に降り続いた雨のため多数の土砂災害も発生しました。こうした浸水被害及び土砂災害により、大洲市では 5 名の尊い人命が失われました。また、電気、水道、電話など のライフラインも断絶し、道路、鉄道も通行止めや運休が発生するなど、浸水被害・土砂災害による直接的な被害 だけにとどまらず、市内全域に大きな影響が発生しました。

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